杉浦顧問勇退①
杉浦利金顧問(元センター所長)が勇退されることとなった。
御年88歳。米寿です。
杉浦顧問はまさにオイスカの生き字引的な存在で、
オイスカ創立者から直接薫陶を受け、開発団員として
農業技術指導のため、インドへ。
インドから帰国後、当時岡崎市にあった中部日本研修センターへ。
当時の職員の給料はゼロ。
全く無報酬の中、当時の職員は
海外研修生の指導にあたった。
ある日、センターの食堂を杉浦顧問が通りかかったところ、
炊事のお母さんたちが困った顔してヒソヒソ話をしていた。
「研修生に食べさせる明日の米がない」
これを聞いた杉浦顧問は、
「会員を募集して、研修生に腹いっぱい米を
たべさせる!!」
と決意し、翌日から会員募集を開始した。
当時のオイスカは無名。
日本は高度成長期で製造業が隆盛のとき。
国民はアメリカに顔を向けていた時代。
そんなとき、
アジアで
農業をし、
山に植林を
そのために会員にならないか
と時代と全く正反対の運動を展開していたのが
オイスカと杉浦顧問をはじめとする当時の先輩方だった。
1軒1軒飛び込みで、会員募集をしてきた
杉浦顧問は、着実に会員を増やし、西三河一帯に
会員組織を着々と構築した。
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