2010年09月27日
スリランカ事務所建設その2
M大先生とスリランカの縁は深い。
M大先生がかつて若いとき、開発団の派遣先がスリランカであった。
M大先生がこの国にこだわるわけがここにある。
中部とスリランカはやっぱり、コーンさんとの縁なしには語れない。
彼は、数ある研修生の中でも日本通であった。
酒類は何でもOK。
お酒のあとのラーメンが大好き。
演歌を好んで歌う。
お世辞がうまい。
駄洒落がすき。
頭がいい。
しかし、日本語検定は何度もスベっていた。(笑)
コーンさんがスタッフとして、3年中部で勤め、スリランカに
帰国するとき、藤岡のトヨタ集い丘に部屋を借りて、酒を飲んだ。
そのときに、兄弟の盃を交わしたのである。
まるで、アブナイ世界のようである。
M大先生は酔ってゆでだこのようだった。
「スリランカにセンターをつくりたい」とは
彼の口から何度も聞いていたことだったが、
その日も「必ずセンターを作ります」と言って泣いた。(と思う・・)
ドラマチックである。
M大先生がかつて若いとき、開発団の派遣先がスリランカであった。
M大先生がこの国にこだわるわけがここにある。
中部とスリランカはやっぱり、コーンさんとの縁なしには語れない。
彼は、数ある研修生の中でも日本通であった。
酒類は何でもOK。
お酒のあとのラーメンが大好き。
演歌を好んで歌う。
お世辞がうまい。
駄洒落がすき。
頭がいい。
しかし、日本語検定は何度もスベっていた。(笑)
コーンさんがスタッフとして、3年中部で勤め、スリランカに
帰国するとき、藤岡のトヨタ集い丘に部屋を借りて、酒を飲んだ。
そのときに、兄弟の盃を交わしたのである。
まるで、アブナイ世界のようである。
M大先生は酔ってゆでだこのようだった。
「スリランカにセンターをつくりたい」とは
彼の口から何度も聞いていたことだったが、
その日も「必ずセンターを作ります」と言って泣いた。(と思う・・)
ドラマチックである。
Posted by 中部こすぎ at 19:23│コメントをする・見る(0)
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