2009年02月14日

ミャンマーから

オイスカ・ミャンマー・ヤンゴン事務所駐在
の斉藤祐子の便りを紹介します。
(オイスカのメルマガより。 登録してね!)

ミャンマーといえば、去年サイクロンで大変だったんですよね。
オイスカも緊急支援で現地スタッフが中心になって物資配布支援など
おこないました。

それでは、どうぞ。

 もてなし王国・ミャンマーでのおもてなしに欠かせないもののひとつに
「コーヒーミックス」がある。いわゆる“3 in 1”というやつで、コーヒ
ー、ミルク、砂糖がワンパックにおさまっている。しかもそれがご丁寧に
ワンカップ分ずつに分包されていて、10包から50包入りのサイズで売られ
ている。小さいお店では1包単位でで好きな量だけ買い求めることも可能
だ。コーヒーミックスは近隣の東南アジア諸国でも一般的なものであり、
現にミャンマーでもお隣のタイから輸入されているものも少なくない。

 味は日本のコーヒー牛乳よりもややコーヒーの風味が強いかな、といっ
たぐらいの甘さで、日本でもコーヒー牛乳しか飲まない(飲めない?)私
にはちょうど良く、今となってはもはや中毒状態である。我々のプロジェ
クト地の村々でも例にもれず、コーヒーミックスはお菓子とともにお皿に
盛られてお湯の入ったポットとともに登場する。それを村の人や、同行の
ミャンマー人スタッフがその場でカップに溶いてくれるのだが、あるとき
訪れた村で、ふと、そこにかき混ぜるスプーンがないことに気づいた。こ
れは必然的に上下二層に分かれたコーヒーミックスを味わうことになるの
だなと思っていたそのとき、同行のスタッフがコーヒーミックスの空袋を
細長く折りたたみ、その小道具ですばやくコーヒーを混ぜてくれたのであ
る。私は思いもよらぬその技にいたく感動してしまった。そうか、その手
があったかと。彼らにとっては日常茶飯事のなんでもないことだろうけれ
ども、とにかくなんでもあるのが当たり前の便利国・現代日本から来た私
には、そんな方法はまるで思いつかなかった。

 ちなみにコーヒーミックスの分包が入った大袋は比較的丈夫なプラスチ
ックなのだが、これはこれで保存袋として大活躍していて、お金や書類な
んかを大事そうにそれに入れて持ち運んでいる人々を何度も見かけたこと
がある。コーヒーミックスの空袋に限らず、ミャンマーの人々は身近にあ
る物を活用したり、直してまた使えるようにする事に非常に長けていると
思う。例えば、自動車のタイヤとしてはお役御免になったものでも手押し
車のタイヤとしてはまだまだ現役で務められるし、はたまたバケツや草履
に生まれ変わったりもする。道を走る車なんかは、日本人にとっては使い
古しに見える年代物中古車がほとんど(しかも大半が日本製)で、道路の
真ん中ではたと動かなくなってしまうことなど決して珍しいことではない。
それでもたいていの人はあわてることなくボンネットを開け、ちょこちょ
こいじって何事もなかったかのようにまた走り出す。こうやって直して直
して直して、同じ車を長い時間使い続けるのだ。車もそこまで使ってもら
えたら本望だろう。

 ここに挙げたのはほんの一部分だが、日頃ミャンマーの人々の生き様を
見ていると、そこには「生きる力」というものが感じられる。とにかくた
くましい。昨年5月にミャンマーを襲ったサイクロンの後にも、それは強
く感じたことである。サイクロンが上陸してからまだほんの2、3日しか
経っていない街では、木々や電柱がまだ倒れたままの道の脇で、いつもの
ように路上の物売りをしている人がいる。村では竹などの自然素材ででき
た簡素な家々は大半が崩れたが、飛ばされた材料を集めてきて元の状態に
戻したり、集められただけの量でなんとか雨をしのげる場所をこしらえる。
ちょうど雨季の稲作の準備をする頃にあたり、「自分たちは米を作らねば
ならない」と訴える農民たち。身内や親しい人を亡くし、悲しいことには
相違ない。しかし、そもそもが「自分らのことは自分らでどうにかしなけ
れば」という状況で生きてきた人たちである。明日の生活を心配しなけれ
ばならないのだ。

 それとともにいつも感じるのは、人間としてのあたたかみである。
前述したようにもてなし好きであり、親切な人が多く、どんなささいなこ
とでも困っている人がいたら放っておかない。そして非常に話好きでもあ
り、“噂"が絶えない。そして、情報入手が制限されていることもあって、
真否に関わらず、噂も重要な情報源のひとつである。家族・親戚はもちろ
ん、コミュニティーの中でのつながりも強く、わいわいと寄り集まって暮
らしているせいか、寂しがりやでもあるような気がする。私がヤンゴンの
事務所に一人で寝泊まりしていると言うと、信じられないという顔をする。
怖くない?淋しくない?と心配してくれる。ヤンゴン市内を走るタクシー、
夜間は運転手の横に連れが乗っていることが多い。なんでも夜は一人では
心細いからとかいうことだが、こちらが女一人で乗らねばならないときは
逆にびびってしまう。こんなミャンマーの人々と接していると、日本も昔
はこうだったんだろうなあとなつかしくもうらやましい気になったりする。
戦後から今日に至るまで、日本はその必死な努力でめざましい変化・発展
を遂げ世界を驚かせたが、その過程で何か大事なものを犠牲にしてしまっ
たのではないかと思うのだ。

 心の痛くなるニュースが増えている昨今の状況は非常に残念なことであ
る。今後時代の流れとともにミャンマーも少しずつ変化していくだろうが、
人々のたくましさやあたたかさはいつまでも失ってほしくないなと願う。
日本の急激な変化は日本人だからこそ成し得たものであって、同様にミャ
ンマーにはミャンマーなりの発展の仕方があるはずだ。同じアジア人とし
て、またミャンマーとゆかりの深い国の人間として、今後も草の根レベル
でのお手伝いをしていきたいと思う。



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