2009年03月08日
顔がみえること
土曜日に「オイスカ友の会」主催で
オイスカ入門交流会が開催されました。
友の会は市内鴛鴨町のオイスカ会員のグループで構成され
歴史も古い。
初代会長の小島鎮男さんから平吹医院の平吹先生に
会長がかわり、新メンバーの加わったこともあり、オイスカで
交流会がおこなわれました。
平吹先生は豊田東名ライオンズクラブのメンバーでもあり、
オイスカの会員さんでもあるんですが、温厚な人柄・人望は抜群で
地域の名士の人。
先生はフィリピンや中国内モンゴルなどオイスカの海外現場にも何度も
足を運んでいて理解も深いのだ。
20人くらいのメンバーさんに最後にマイクをまわすといろいろな話がでてきました。
当時市役所農林部長で、オイスカを勘八に誘致したら地元の反対がすごくて1軒1軒説得したこと。
当時小嶋会長に「アジアの青年が夢を抱いて勉強にきとる。お金をはらってくれればいい」とオイスカに
はめられて、何十年といって笑う会員さん。
子供時代に親のところへ研修生がよく来ていた。
まずは地元でオイスカって知ってるか?と声かけをしようと言ってくれた人。
顔を合わせて、こちらの思いを伝える。
会員さんから直接声をきくといろんな発見と感動があることに気がついた。
僕は会員さんのスピーチを聞いて、泣きそうになってしまいました。
顔が見える関係って大切だなーとつくづく思ったわけです。
我々組織スタッフは毎日1軒1軒会員さんにお会いするんですが、
「顔を見せる」ことが「顔のみえる」関係にさせる。
これを特に中部は頑固なまでに今まで変えずにやっています。
先輩方が「徹底した足運び」をこれまで会員さんにやってきたおかげで
センターも立派になりました。
最近は行事が多くて、事務所にいる時間がどうしても増えています。
いままでのように「足を運ぶ」ことが困難になってきてますが、
それにかわる「顔がみえる」努力を我々はしないといけないと思うんです。
オイスカ入門交流会が開催されました。
友の会は市内鴛鴨町のオイスカ会員のグループで構成され
歴史も古い。
初代会長の小島鎮男さんから平吹医院の平吹先生に
会長がかわり、新メンバーの加わったこともあり、オイスカで
交流会がおこなわれました。
平吹先生は豊田東名ライオンズクラブのメンバーでもあり、
オイスカの会員さんでもあるんですが、温厚な人柄・人望は抜群で
地域の名士の人。
先生はフィリピンや中国内モンゴルなどオイスカの海外現場にも何度も
足を運んでいて理解も深いのだ。
20人くらいのメンバーさんに最後にマイクをまわすといろいろな話がでてきました。
当時市役所農林部長で、オイスカを勘八に誘致したら地元の反対がすごくて1軒1軒説得したこと。
当時小嶋会長に「アジアの青年が夢を抱いて勉強にきとる。お金をはらってくれればいい」とオイスカに
はめられて、何十年といって笑う会員さん。
子供時代に親のところへ研修生がよく来ていた。
まずは地元でオイスカって知ってるか?と声かけをしようと言ってくれた人。
顔を合わせて、こちらの思いを伝える。
会員さんから直接声をきくといろんな発見と感動があることに気がついた。
僕は会員さんのスピーチを聞いて、泣きそうになってしまいました。
顔が見える関係って大切だなーとつくづく思ったわけです。
我々組織スタッフは毎日1軒1軒会員さんにお会いするんですが、
「顔を見せる」ことが「顔のみえる」関係にさせる。
これを特に中部は頑固なまでに今まで変えずにやっています。
先輩方が「徹底した足運び」をこれまで会員さんにやってきたおかげで
センターも立派になりました。
最近は行事が多くて、事務所にいる時間がどうしても増えています。
いままでのように「足を運ぶ」ことが困難になってきてますが、
それにかわる「顔がみえる」努力を我々はしないといけないと思うんです。
Posted by 中部こすぎ at 21:26│コメントをする・見る(0)
│オイスカ